斜に構える頑固

日々思うことを綴る

気づけばうちのネコも老いたものだ

 猫と1人プラス1匹で暮らしている。子猫の引き受け手になったり、野良が住み着いたりで、4匹目になる。今の猫は2歳で家に来て現在13歳になる。保護猫の飼い主がペット禁止の物件に越すことになり、困っていたところに出くわした。

 飼い方は放任で、トイレは庭に何箇所かあるようだ。常に土足で出入りしているわけだが、足を汚してくることはほぼない。日常的に爪とぎを使ってくれるのだが、それでも襖や柱にある程度の爪痕は残る。生まれが野良なので、小鳥、ねずみ、ゴキブリなどを見つけると捕食するし、夏場のセミは好物のようだ。肉も魚も人の食物は口にしないが、鰹節と海苔を食べるところは流石である。ペットフードも決まったものだけで、違うものには見向きもしない。1度変更したことがあるがずいぶんと苦労した。餌は好きなだけ与えているが必要な分しか食べない。過食気味な私は見習いたいところである。

 そんな彼女も少しずつ痩せてきていて、撫でると骨ばって感じるようになった。食事の量は変わっていないので安心だが、力は落ちている。一飛で登っていた塀に、塀を蹴ってワンバウンドで登るようになり、今ではかろうじて届いた両前足を引っ掛けて、体を無理やり持ち上げて登る。猫は老化や死というものを認識しているのだろうか。私は彼女より長く生きる必要があるし、5匹目は飼わないと決めている。

 人の命に関してはタブーなところがあるが、自然に任せるのがよいと考える。食が細くなり肉が落ち痩せていく。最後は食べ物を取らなくなり眠りにつく。最近は薬漬けのせいで重い死体が多いと聞く。延命治療には反対である。そうでなければ同時に安楽死も認めて良いと思う。善悪問わず終活ビジネスは盛んだし、人の死にはお金がかかりすぎる。多くの金が集まるところはろくでもない。生死に関しては間口を広く考えることと、金が集まらないようにすることが肝要だろう。