斜に構える頑固

日々思うことを綴る

ゲリラ豪雨と夕立ちの違いを知りたい

 昨今、天気予報に思うことが2つある。わざと悪い予報をしているのではないか。外れることが増えたのではないか。

 メディアの報道が酷い。予報と災害を同列で伝えている。例えば台風の場合、予報の段階で大きいだとか強いだとか煽り、挙句の果てには10年に一度とか観測史上最大とか声高に叫ぶ。結果として、冠水した市街地、土砂崩れ、氾濫した河川を映し出し嬉々として伝える。この間ずっと同じ調子である。もう少しトーンを落として淡々と報じることはできないのだろうか。これは日本に限らず米国も同様で、むしろもっと酷いそうだ。

 予報はデータを示し解説してくれればそれで良い。煽りたいなら言葉ではなく、過去の事例を挙げて数値等を比較し注意喚起した方が説得力を持つ。地域にもよるが、台風が直撃すること自体が5年とか10年に一度である。また、観測史上といってもせいぜい5~60年のことだし、通過した跡をたどれば大なり小なり災害の場面を毎回報道できる。

 自分が育った土地であれば、どこでどのような災害の可能性があるか、過去にどれくらいの災害があったのか、そのような情報は自然と頭に入っている。知らない人は職場等で話題にするとよい。その点をメディアはうまく報じられていないので、避難場所や方法を伝えてくれた方がためになる。

 予報はネットで事足りる。1時間ごとに更新される雨雲の推移と時間予報は精度が高く、雨・風の強弱はぶれるが、降るかどうかに関してはかなり正確である。常に最新へと書き換わるために予想が変化し、以前のものが外れたように感じるほどである。ふと、予報士とAIのどちらが的中するのかなと思ったところ、降雨に関してはすでにAIの方が上らしい。予想のもととなっているデータが同じなら、もはやAIに及ぶことはないだろう。脚色したり、煽ったりしない点でも優秀である。