斜に構える頑固

日々思うことを綴る

口論できる友人は貴重

 友人と話をしているときに口論になることがある。思考は十人十色であり、互いの意見が衝突するのは当たり前である。そのときどうするか。私は、意固地になって自分の意見を認めさせようとするわけではないし、相手の意見に納得がいけば認め、間違いを指摘されれば取り下げる。それくらいの分別はあるつもりだ。しかし、私が口論に結論を求めようとするのに納得行かないという。友人は、結論はどうでもいいという。結論というと大仰だが、それなりに締めないと終わらない気がするのだが。

 口論には、すれ違いや前提の違いで起こるもののほうが圧倒的に多いと考える。そういうものは結論はいらないし、紐を解いて終わればよい。お互いが前提としている事実や定義が異なれば、どこまでいっても平行線である。原油価格が話題になったとき、一人は需要面で意見を述べ、もう一人は供給面から意見を述べた。両者とも自分の意見の正当性を主張しあい口論となった。電気自動車の話では、一人は現在の話をし、もう一人は将来を見据えた話をした。別の話では、一人は現在の話をし、もう一人は過去を踏まえた話をした。また、属する集団が変われば、各々異なる常識が存在してしまう。話し合いの中では、その都度紐解いていくことが必要だろう。

 最近、ネットの影響からか意見を白黒分ける傾向が強い。0か1かに決めたがる。日本人はYES・NOがはっきり言えないと言われていたが、今はどうだろう。内側に対しては必要以上にはっきりさせたがる気がする。それにたいして、外側への発信や、政治やメディアなど全体に発信するものは、以前にもましてはっきり言わなくなっている気がする。0か1かで決定する物事ばかりではない。0.4とか0.5とかで話をまとめて進めていくことをしないと、世の中停滞してしまうのではないか。