斜に構える頑固

日々思うことを綴る

持続可能な違和感が

 SDGsの話を始めたらSDGsという語句を使ってはいけない。これは目標とする課題17個の総称であるからだ。まずはどの目標について話すのか宣言すべきで、その目標に付随する行動に対してはじめて賛否などの意見そして議論が生じてくる。SDGsという語を連呼している人々は、どれだけ崇高な言葉を述べようが、空に発しているだけで中身がない。その中のどの点のどの部分を話しているのかを明確にしていないからだ。ろくに中身に触れずにタイトルやフレーズを連呼する手法は政治でよく見られ、たいていは悪政となる。中身の説明が豊富であることが良政につながる。本を読むときに各章のタイトルだけ読んでいてもしょうがあるまい。

 SDGsの目標群に対して、日本は自然とそれらを満たしていたのではなかろうか。ローカルとして素晴らしいものを持っているのに、グローバルになるとローカルを軽視したり壊したりしてしまう。ローカルを重視し、グローバルはその延長として捉えたほうがよい。部分が確固たるものとなっていなければ、全体をまとめたり影響を及ぼしたりできる訳がない。また、ローカルなコミュニティ間の価値観の違いを強く認識すべきである。個人の間なら別れて終わりで済むけれど、集団同士ではそうはいかない。お互いの定義をしっかり確認した上で、話し合いを積み重ねていくしかない。そして、地域の特異性は否定するのではなく、尊重していくべきだ。

 各目標に異を唱えるものはいないと思う。一段下では具体的な目標も上げてある。しかし、設定や方策に対する説明は一切ない。一部に疑問的なものもある。一から十まで肯定するのは非常に危険だ。科学的な根拠を求めたり、歴史を学び直したりして、自分たちを見失うことなく、賛同できるものに対してのみしっかりと協調していけばよい。一緒くたにして正否をおしつけるSDGsに違和感しかない。