斜に構える頑固

日々思うことを綴る

ことばについての愚痴を少々

 何でもかんでも「かわいい」で表現することが女性や若者を中心に流行った。本来そうでないものも含め、この一語に多様な意味をもたせる。当時は苦笑いする人が多かったが、現在はほぼいない。

 「推し」という言葉が広まった。ファンという言葉を拡大したもので、ちょっと好きから熱狂的まで段階を問わないし、自分の嗜好のアピールから相手への推薦をも含蓄する。「エモい」という語を使いだした人はすごい。感情に触れる事象に使える言葉で、感情を表現する形容詞全てに代替可能である。語彙力の低い者にとってはありがたいだろうが、言葉の集約化は人に悪影響を及ぼす気がする。100年後の会話を聞いてみたいものだ。

 「障がい者」という表記が気に入らない。何より美しくない。害という漢字がよろしくないのであれば、昔使われていた碍という字に戻せばよろしい。一度否定したものを再度肯定することができないのは、この国最大の欠点の一つである。

 私は「重複」を(ちょうふく)、「依存」を(いぞん)と読む。正しくは(ちょうふく・いそん)で、慣用的に(じゅうふく・いぞん)が用いられる。誤用であれ世間に広く浸透すれば、そうではなくなり両者が混在することもしばしば。時代とともに言葉が変化していくことに抵抗はないが、誤用が散見されるようになった段階で「本来はこうですよ」という発信がないことに引っかかる。正誤を示すことなく、行き着くところまで行ってから「どちらもOKです」という姿勢が気に入らない。

 誰もが一つくらいは引っかかる言葉があるのではないか。最近は「一段落」を(ひとだんらく)と言うのに違和感を覚える。

 敗戦後8年強に及ぶ占領政策の影響は大きい。ふつうに言論統制がかかっていたし、敬語の廃止や英語教育への方針が示されていた。時間の経過した現在でも、教育・出版・映像分野に残る日本語軽視の影はなかなか消えてくれない。