斜に構える頑固

日々思うことを綴る

人はいうほど車を制御できてない

 自動車の性能は日々向上しているものの、操作性や安全性には疑問がある。どうしても快適さと反比例の関係に位置するからだ。

 まずカーステレオが謎だった。ラジオ程度ならわかるが、音楽により耳をふさいでしまうのは安全なのか。さらに進みTVやDVDも当たり前で、音量を上げなければよいとか運転手は見ないようにというのは、人を信用し過ぎである。現在は静粛性も高まり、外の音はますます聞こえない。次に遮光フィルムだ。冷暖房効率やUVカットを利点とするのは良いが、目隠しとなるのはよろしくない。後続車が先を見るのに不透過だと邪魔である。また、運転手がどんな人なのか、性別や年齢ぐらいは周りから把握できたほうが良い。秘匿性が高まるとおかしな人は増える。インパネや周辺の液晶化による眩しさ、スイッチ類の増加、運転席からの視界の狭さ、などなど見た目は良いが運転のしやすさは微妙。

 急発進急加速する車が増えた。大きな道路で意図的なものならまだしも、駐車場から出るときなどである。どうやら性能に踊らされている感がある。合図の出せない車や、停止位置のおかしいものも多い。いっそのこと完全マニュアル車に戻して、運転になるべく手間がかかるようにしたほうが良いのではと思う。流石に極端な考えではあるけれども。

 人が一度得た快適さを投げ出すことは非常に難しい。快適さにより落とした安全性をアシストという形で科学的に補う方向で進んでいる。個人的にはアシストは中途半端だと考える。これにより人の能力は落ちていくが、一方で最低限の人の手を必要とし続ける。それならばある程度で線を引いておき、一気に自動運転へと移行したほうがよい。

 もう性能は成熟したと言ってよいだろう。それよりも様々な形状やデザインだったり、安全性や個人乗用に特化したりと、多様化しても良いのではないか。車はあまりにも一様的すぎる。