斜に構える頑固

日々思うことを綴る

犯罪の影には女と金

 三権分立は、中3の公民で習ったと記憶している。そのときに「内閣ってほとんど国会議員だよな。立法と行政は分立してないじゃん。」と思っていた。大人になってからは尚更だ。何かを行うには法律化していくこととセットになる。年間100前後の法律が成立している。そのいくつを皆は知っているのだろう。スポーツニュースで例えると、場面々々だけ流して試合結果を教えないという状態で、報道する側に問題があるのだろうけども。

 それよりも国民からの矢印が生きるように見直すべきだ。現状を考察してみる。うちの選挙区は立候補者2名で、どちらも自分とは相容れない。究極の選択かよ。もう少し選択肢がほしい。国民審査といっても、耳にしたことのある名前はない。ましてやその人の判例など。世論も大声小声さまざまなのは良いが、ノイズが多すぎるのと、コントロールに勤しむ集団が活性化しすぎている。大勢ばかりに従っていても良くなるとは限らないわけで、世論を受ける側の能力頼みになるのは仕方がないか。

 つまるところ国民からの矢印が弱すぎる。民間による監査組織を作って権力を付与しよう。人的部分へのアプローチは、不祥事のあった議員・裁判官・公務員に対しての罷免・処罰を提案する権利。決定させると強すぎるので提案止まりで。財的部分へは、税金の使途を保存・公開する義務。納税の義務へのカウンターとなるもの。当然、書類添付で1円単位まで。補助金等も税金を用いる以上同様である。あくまでデータ収集に強権を与えるのみで裁いたりはしない。これぐらいでバランスが取れるのではないかと妄想してみた。

 資本主義社会において、金権主義や利己主義が顔を出すのは仕方のないことだが、ある程度抑制していかないと、社会全体の幸福とはほど遠いものとなろう。