斜に構える頑固

日々思うことを綴る

学校は楽しかったが、ためになったかは微妙

 学校の様式を小学校5,6年は中学校、中学校は高校、高校は大学と1区分ずらしたほうが良い。かれこれ30年の持論である。学習内容ではなく、生徒・教員・科目の在り方の話です。

 中学校までは義務教育なので集団教育を行うが、3割程度は科目や習熟をもとにした選択制とする。この3割は、言語、文化、体育、各科目の過去の復習、少し高度な学習など自由に設定してほしい。そして7割の部分は徹底的な詰め込み教育になる。

 高校は義務教育ではありません。生徒個人が動く組織としたい。生徒が教室で待つのではなく、授業科目の教室へ行く。現行の大学の講義スタイルにしよう。ただし、期首のオリエンテーションには力を入れ、期間ごとにホームルームを設けて、履修・生活・進路などを指導する。個人主義の世の中はまだまだ続きそうだし、高校も欧米のスタイルを基にした日本風を模索したい。朝礼や終礼はいらないし、休暇中はアルバイトもどんどんしてほしい。

 義務教育における最大の疑問は、留年しないことだった。少なくとも私の周りにはいなかった。出席や成績などの条件を満たさないものは、どんどんドロップアウトさせてあげたい。年を取ってからだと悲惨である。現在の学校でフォローできるのは8割ぐらいだろう。義務教育機関として、通常の学校、個別対応の学校、家庭対応の組織など、公として数種類の機関をつくり2割をフォローする。公なのが肝である。

 私は人口20万の田舎の市に住んでいるが、教育に携わる知人は次のように話す。昔のような生徒・先生・保護者の関係が崩れた今、学級崩壊や授業崩壊は当たり前で、先生は授業を行ったという事実を作るのに必死。いじめは確実に増えていて、しかも昔のものとは全然違う。保護者や先生の間でもあるそうだ。

 教育は国の礎。大きな改革でも起こせないものか。などと子供のいない私が思う。