老害という言葉は好きではないが
朧げに自分の未来をどれくらい先まで考えているのだろうか。中学生なら、高校・大学などの進路。高校生なら就職・結婚。歳を重ねていくと、子供のこと、親のこと、仕事のこと、家のこと。20歳なら20年後の40歳、30歳なら30年後の60歳、というふうに、だいたい自分の年齢と同じぐらい先まで思い浮かべているのではないか。これは個人のことを考えるときだけでなく、周りの人間も含めた集団のこと、ひいては社会全体のことを考えるときにも当てはまると思う。未来予知ができるわけではないので、正しいかは別にして、それぐらい先を見据えた思考ができるということである。
では70歳は70年後を考えるのか。否、今度は寿命というものがある。私は70歳ではないので推測であるが、10年先までの思考で止めてしまうようだ。その頃私は死んでいるけどな、という締めの言葉がよく使われる。物理的な問題もある。脳をハードディスクに例えると、60代後半で容量が一杯になるという。認知症の始まりである。これらを抜きにしたときに、その経験から得られる先見の明はいかほどか。その境地には興味がある。また、彼らは詰め込み教育の最盛であり、日々、新聞を隅々まで目を通す世代である。そのデメリットや一部の非常識な人たちを取り上げて全体を否定されている感があるが、多くの人たちは一定の見識を持っている。
100年人生といわれる現在なら、50歳前後の人たちをトップにおき、彼らの思考を中心に据えるとよい。定義付けがないことで会社組織に組み込まれないことが多いが、相談役というポジションがある。高齢者は会長職や役員に名を連ねるのではなく、そちらへ移っていただきたい。政界でも、高齢者が多いのは構わないが、役職はすべて60歳未満にしてほしい。拝金の気がある人たちには難しいかな。「亀の甲より年の功」であり、「老いては子に従え」である。